子供の頃、一番お気に入りの「洗練された」おもちゃを思い浮かべてみてください。何百ものパーツが組み合わさる複雑なレゴ、ハイテクなゲーム機、あるいはミニチュアのシルクのドレスが詰まったクローゼットを持つ人形かもしれません。私たちは「おもちゃ」というものを、工場で作られ、鮮やかなプラスチックのパッケージに包まれ、バーコードが付いて売られている「既製品」だと定義しがちです。いつの間にか、遊びとは「消費するもの」になってしまったのかもしれません。

しかし、森の中や、近所の公園の片隅に目を向けてみれば、世界で最も成功し、長く愛され、そして多才な「おもちゃ」に出会うことができます。電池も不要、Wi-Fi接続もいりませんし、お金を払う必要もありません。それはただ地面に落ちて、誰かに拾われるのを待っているだけなのです。

それは、「枝」です。

殿堂入りを果たした「枝」

2008年、ある選出発表が世間を驚かせました。バービーからルービックキューブまで、数々のアイコンを称えてきた全米玩具殿堂(National Toy Hall of Fame)が、なんと森の落とし物を殿堂入りさせたのです。プラスチックの金型も特許申請もありません。彼らが認めたのは、枝という、ただのシンプルで有機的な物体でした[1]

ストロング国立プレイ博物館(The Strong National Museum of Play)の学芸員たちにとって、これは冗談ではありませんでした。それは、人間性に関する根本的な真理を認めたものだったのです。枝は、世界最古の玩具の一つとして広く認識されています[1]。最初の組立ラインが動き出すずっと前から、そこには枝がありました。一本の木片の中に、道具、武器、相棒、そしてキャンバスとしての役割がすべて詰まっているのです。

想像力の設計図

なぜ枝はこれほどまでに特別なのでしょうか? 子供に尋ねても、木の細胞構造や空気力学的な特性について語ることはないでしょう。彼らが語るのは、「魔法」についてです。

枝は、変身の達人です。子供の手にかかれば、その物体の物理的な性質は、頭の中に描かれる物語の二の次になります。ある瞬間には、想像上のドラゴンと戦う輝く長剣となり、次の瞬間には、目に見えないエネルギーを放つ魔法の杖となります。指揮者のバトン、釣り竿、あるいはライトセーバーにもなり得るのです[1]

これこそが、心理学者や教育学者が「自由な遊び(free play)」と呼ぶものの本質です。使い方がマニュアルで決められているおもちゃとは違い、枝には「可能性」以外何も備わっていません。枝は「自ら発明し、発見するための自由」を与えてくれるのです[1]。子供が枝を手に取る時、彼らはただ遊んでいるだけではありません。高度な認知活動を行っているのです。意思決定、空間認識、そして創造的なストーリーテリングを実践しているのです。彼らは、無から世界を構築しているのです。

原始のビルディングブロック

枝の有用性は、空想の世界だけにとどまりません。それは身体的な探求の道具でもあります。子供たちはただ枝を持つだけでなく、それを使って環境と関わります。何かを作ったり、ボールを打ったり、空洞になった丸太の中の謎を覗き込んだり、あるいは凹凸のある地形を歩く際の杖として使ったりします[1]

また、この遊びには自然界との深い繋がりが内在しています。現代のおもちゃは子供たちをスクリーンや室内へと引き込みがちですが、枝は「外へ出よう」という誘いです。枝は、風景の探索を要求します。重さ、曲がり具合、長さが「これだ!」と思える完璧な一本を探し求めるのです[1]。この探索は、ただの散歩を宝探しに変え、屋外に対する根本的な好奇心を育みます。

遊びがアルゴリズムやあらかじめ設計された体験によって規定されつつある現代において、枝は極めて異質な存在であり続けています。それは自由で、自然で、無限に適応可能です。枝は私たちに思い出させてくれます。人間を発達させる最も強力なエンジンは、おもちゃ箱の中にあるのではなく、一本の枝の中に非凡なものを見出す、人間の無限の想像力の中にあるのだということを。

出典

  1. The Strong National Museum of Play: Stick - The Strong National Museum of Play