レオ・マークスの初出勤の日、彼に与えられたのは、本来なら20分で終わるはずの訓練課題だった。ところが、それに丸一日かかった。彼が鈍かったからではない。誰も暗号鍵を渡していなかったからだ。
そこで彼は、彼という人物をほとんどすべて物語ってしまうようなことをした。そして同時に、戦時中のイギリス諜報機関について、ひどく不穏なことも浮かび上がらせた。助けを求めるのでもなく、そのメッセージは解読不可能だと結論づけるのでもなく、彼はそのまま暗号を破ってしまったのだ。
それが、レオ・マークスが第二次世界大戦にもたらした種類の頭脳だった。素早く、頑固で、少し芝居がかっていて、めったにだまされない。そしてそれは、まさに特殊作戦執行部、SOEが切実に必要としていた種類の頭脳でもあった。ウィンストン・チャーチルの「ヨーロッパを燃え上がらせよ」という命令を実行するために作られたSOEは、敵地の背後に工作員を送り込み、レジスタンスを組織し、情報を集め、ひとつのミスで捕まり命を落としかねない土地で生き延びさせていた。[1]
やがてマークスは、その組織の暗号・符牒部門の責任者となり、占領下のヨーロッパに送り込まれた工作員たちと密接に働くようになる。彼の仕事は、スパイ活動において最も壊れやすいものを守ることだった。つまり、敵の手を通過しても、送り主を裏切らずに済むメッセージを守ることだった。[1]
秘密暗号の問題はたいてい人間にある
戦時中の暗号技術を、完璧なシステムの世界として想像したくなるのは自然なことだ。賢い機械。完全な手順。歴史が扉の外で待つあいだ、天才数学者たちが紙の上で記号を動かしている世界。
だが現実はもっと雑然としていた。マークスがほとんど誰よりもよく知っていたように、SOEは才気と素人くささが奇妙に入り混じった組織だった。[1] 並外れた勇気と、並外れたずさんさが共存していた。工作員たちは、不可能なほどの圧力のもとで不可能なことをやるよう求められた。弱い手順を与えられた者もいた。本来なら安全であるはずの習慣を身につけさせられながら、実際にはそうではなかった者もいた。
それが重大だったのは、レジスタンス活動が無線通信に依存しており、しかも無線通信は危険だったからだ。通信士が送信を始めた瞬間から、時計は動き始める。敵の方向探知班が位置を割り出すこともできた。ドイツ情報機関が通信を傍受することもできた。そして暗号体系に予測可能性があれば、ひとりが捕まるだけで済まない。ネットワーク全体が崩れることもあり得た。
マークスは早い段階で理解していた。暗号とは、ただのパズルではない。生命維持装置なのだと。
古書店主の息子、メッセージの戦争へ
彼は、いかにも官僚というタイプではなかった。著名な古書店主ベンジャミン・マークスの息子として文学の世界から来ており、その感性をそのまま諜報の仕事に持ち込んだ。戦後になると、その同じ感覚が彼を舞台や映画の脚本へと引き寄せ、やがて Peeping Tom のような作品とも結びつくことになる。[1] だが戦時中、文学は彼に、機械には与えられない優位を与えた。
マークスには言葉の感覚があった。パターン、記憶、リズム、そして人が極度の緊張下でどれほど馴染みのある言葉にしがみつくかを理解していた。これは決定的に重要だった。というのも、イギリスの現場暗号運用の弱点のひとつが、工作員たちが個人的な詩を暗号鍵として使うようしばしば奨励されていたことだったからだ。いかにも気の利いた発想に見えた。覚えやすく、持ち運べて、感情にもこびりつく。
だがマークスに言わせれば、それは最悪のアイデアでもあった。
もし工作員が有名な詩を選べば、敵に当てられるかもしれない。お気に入りの詩を選べば、ポケット手帳から見つかるかもしれないし、尋問の中で思い出してしまうかもしれない。暗号は、それを持ち歩く人間と同じだけしか強くない。そして恐怖の中の人間は、理論通りには振る舞わない。
暗号をもっと非ロマンチックにしようとした男
マークスは、そうした見せかけの賢さに抵抗した。彼が好んだのは、もっと厳格な規律だった。彼はしばしば、工作員たちにオリジナルの詩を使った暗号を与えた人物として記憶されている。それは敵に見抜かれたり再構成されたりする可能性が、はるかに低い素材だった。実用的な修正策だったが、それ以上に示唆的でもあった。彼が戦っていたのはドイツ情報機関だけではなく、イギリス側の慢心でもあったのだ。
この緊張はSOEの物語全体に流れている。組織は大胆さに満ちていたが、大胆さは自動的に有能さを生み出すわけではない。マークスは、その場にいて「ロマン主義は人を殺す」と言い張る、居心地の悪い役回りを担っていた。華やかなスパイ組織であっても、怠慢や虚栄、あるいは手順の漂流によって簡単に壊れ得た。
そしてその漂流は、単なる仮説ではなかった。破滅的だった。
ずさんな保安が死刑宣告になるとき
SOEにまつわる最も暗い出来事のひとつが、オランダのネットワーク崩壊だった。ドイツ情報機関がそこに潜り込み、何かがひどくおかしいという警告があったにもかかわらず、約50人の工作員が処刑された。[1] これは不運として片づけられる種類の失敗ではなかった。秘密機関が通信量を信頼と取り違え、手順を証拠と取り違えたとき、何が起こるかを示す実例だった。
マークスにとって、これこそがこの仕事の中心にある恐怖だった。暗号は抽象的な道具ではない。もしそれが破られれば、本物の人間が消える。警報を鳴らすべき通信をそのまま受け入れれば、工作員は罠に落とされる。侵害されたネットワークをなお生きているものとして扱い続ければ、官僚機構そのものが敵の共犯者になってしまう。
だからこそ、彼の初日の逸話は、見た目以上に大きな意味を持つ。鍵がなければ、その演習はそこで止まるべきだった。だがマークスは解いてしまった。この話はたしかに彼の知性を引き立てる。だが同時に、それは彼が足を踏み入れた世界を暴きもする。十分に鋭い誰かが気づかない限り、基本的なミスですら見過ごされ得る世界を。
なぜレオ・マークスは今も現代的に感じられるのか
戦火の中での勇気ゆえに記憶される戦争の英雄は多い。だがレオ・マークスが重要なのは、もっと不穏な理由からだ。彼は、システムは最も弱い人間的な一点で壊れるのだと理解しており、より多くの人が死ぬ前にその一点を補強しようとして戦時を費やした。
彼は、ロマンチックな意味での単なる暗号破りではなかった。懐疑を切実に必要としていた組織の内部にいた懐疑主義者だった。秘密とは、何かを秘密だと呼ぶだけで生まれるものではない。方法と規律、そして「これで十分だろう」と感じるものをほとんど無礼なくらい信用しない姿勢によって生まれるのだと、彼は見抜いていた。
戦後の彼は、映画や舞台の脚本執筆へと進み、複雑で、ときに論争的でもあるキャリアを歩むことになる。[1] だが最も印象的なのは、なお戦時のレオ・マークスだ。半ば混沌とした秘密戦に投げ込まれた若い暗号専門家が、目の前の演習が壊れていることをほとんど即座に見抜き、それを権威ではなく知性で修復した、その姿である。
だからこの話は残るのだ。彼が本来破るはずのなかった暗号を破ったからだけではない。彼がその演習の中に隠れていた本当の教訓を、ただちに理解したからだ。諜報の世界で危険なのは、たいてい暗号そのものではない。誰か他の人間が、きっともう確認してくれているだろうという思い込みなのである。






